子分ふたりを連れて、おりんの家に乗り込みました。 たかが、女ひとり。仰々しいとも思ったんですが、伴天連仕込みの妖術使いとあっては、やはり細心の注意が必要だった。

間近で見れば、確かにいい女。唐から来たということで、ついつい楊貴妃のことなど思い浮かべてしまう。

で、不思議ことに、家に踏み入ったときから、こっちの気持ちがおかしくなってしまいました。 なにかこう、穏やかな気持ちになって、取り調べのことなど、すっかり忘れてしまった。 今から思えば、あれも伴天連の術だったのでしょうが・・・。

あっしと子分ふたりは、唐の国の茶菓子など振る舞われ、浄瑠璃の謡曲など聞かせてもらって、すっかり気持ちよくなってしまいました。 上機嫌で番屋に帰って来たときには、もう、なんのためにおりんの家に行ったのかさえ、忘れてしまっていた。

おりんに会ったのは、それが最初で最後。 いつの間にか連雀町の家から、姿を消していました。 あっしのほうも、おりから起こった慶安の変に目を奪われ、 由井正雪の残党狩りに駆り出されてるうち、不思議な唐女のことなど、すっかり頭の中から消えていた。

ところが、つい先日、20年ぶりに唐人おりんの名前を耳にしました。近所の居酒屋で、中川の旦那にばったり出会ったときのことです。 同心だった中川の先生は、慶安の変で手柄を立て、異例の出世をしたそうです。最後は、与力にまで登りつめたとか・・・。 いまは、もう引退し、悠々自適の生活を送ってました。

で、中川の旦那から、初めて、慶安の変の裏話を聞きました。 実は、幕府が初めて謀議を知ったのは、なんと唐人おりんから。 おりんが中川の旦那に倒幕の謀議を知らせ、それから由井正雪のまわりの内偵を始めたそうです。 そういえば、おりんが住んでいた神田連雀町のすぐ近くに、正雪も居を構えていたのでしたっ け。

意外な話に目を白黒させてると、先生は、さらに不思議な話を聞かせてくれました。