実は、駿府で自害した由井正雪は、どうも替え玉らしい。 本物の正雪は、おりんが成敗したのだと、中川の先生は言ってました。

「雷雨の夜、おりんと正雪は、空を駆ける牛車に乗って、空中で戦っていた。 牛車から稲妻を発し、さながら竜と鬼神の戦いのようであった。」と先生は語ってくれました。

まるで、唐の国の怪談話のようで、あっしは、俄には信じなかった。 狐につままれたようなあっしの顔色を窺うと、先生は、ニヤニヤ笑いながら、酒をついでくれました。

「戦いはおりんが勝った。正雪の牛車は、おりんが放った稲妻に打たれ、地上に落ちてきた。 おりんは、正雪の亡骸を自分の牛車に乗せると、虚空の彼方へ旅立って行った。

「旅立つ前、俺は、おりんに正体を訊いた。おりんは、笑いながら、『時を司る神のしもべ』だと答えた。

『アルフォンヌ、いえ、正雪は、幕府の鎖国政策に反対していました。 人々の心が、外の世界から閉ざされてしまう前に、もう一度、この国を、世界に向かって開こうとしたのです。

そして、時の流れを変えようとしてしまい、時を司る神の逆鱗に触れたのです。』」

中川の旦那は、笑いながら杯を上げました。そういえば、同心の頃から、あっしら岡っ引きをからかうのが好きなお方でしたっけ。

おりんの話も、どこまでほんとのことやら。眉に唾つけて聞くほうがいいのでしょう。

でも、たった一度だけ会った唐人おりんは、あっしら、無学の人間には到底わからねえ、 不思議な空気を身につけていて、それが、「時を司る神様」のいる国から来た証なのだとすると、 一杯機嫌で与太話に興ずる中川の旦那の言葉にも、少しの本当はあるのかもしれねえと思い初めてしまいました。(終)