Singapore Photography 001
Keong Saik Road
古き良きチャイナタウン、ケオンサイク・ロード

チャイナタウンのほぼ中心、ケオンサイク・ロード。かつての遊郭の街です。初めて訪れた20世紀の終り頃には、かすかに花街の名残りがありました。緩やかに登って行く坂道の上半分には、紅灯のランプが妖しく光る建物が並んでいました。
謡曲を奏でる胡弓の調べが雨上がりの夜空に消えて行き、化粧した女たちは、置屋から足早に紅灯の建物に向かって歩いていました。(この写真は2017年2月撮影)

チャイナタウンを貫く大動脈、ユートンセン・ストリートをチャイナタウン・コンプレックスのところで脇に入ると、ケオンサイク・ロードとなります。

チャイナタウン・コンプレックスの果物屋。ドリアンの季節にはイートイン・コーナーでドリアンを食べました。いまもあるのでしょうか。
「拡大地図を表示」をクリックすると地図が開きます。チャイナタウンはシンガポール川の南側に拡がっています。

チャイナタウン・コンプレックスを通り過ぎると、右手にヒンズー寺院が見えてきます。このあたりからケオンサイク・ロードの緩やかな坂道が始まります。

ケオンサイク・ロードの玄関口に建つヒンズ―寺院、スリ ラヤン シティ ヴィナヤガー寺院。

坂道に沿って美しいショップハウス群が続きます。

ケオンサイク・ロードのランドマーク的な建物、東亜ビル。1939年竣工とのことです。右側がケオンサイク・ロード。

リニューアルされる前です。安物のフィルム・カメラで撮ったので、撮影日時が不明ですが、2002年以前だと思います。この頃でさえ、シンガポールから「古き良きチャイナタウン」は、ほとんど姿を消していました。ここは最後に残された一画。遊郭があった通りです。遊郭も、もう半分以上が取り壊され、健全なレストランやホテルに改装が終わっていましたが、この建物を境にして、緩い坂道の上半分には紅灯のランプが妖しく光る建物が並んでいました。

これは2017年2月ですが、この頃には完全に街は浄化され、かつての歓楽街をうかがわせる雰囲気は皆無でした。

いまのケオンサイク・ロードに妖しげな雰囲気は微塵もありませんが、かつては夕方遅くなると、置屋から紅灯のお店へと急ぐ厚化粧の女性たちをしばし見かけました。古き良きチャイナタウンの最後の残り香を感じることができて、懐かしい思い出となっています。

建物の1階部分がセットバックし、歩道の上に2階部分がせり出すという騎楼造り。東南アジアのチャイナタウンに共通したスタイルです。


2002年5月です。左上に見える「9下」という紅色のサイン。これが娼館の印でした。

同じく2002年5月です。「永蘭香香荘」という名の娼館がありました。この看板に口がきけたなら、男と女の間の、どんな物語を語ってくれるのでしょうね。

2009年7月です。この頃には通り全体がリニューアルされ、すっかりお洒落な街に変身していました。

同じ場所ですが、夜は風情がありますね。2017年2月です。

20世紀が21世紀に変わる頃、すでにチャイナタウンからは中国人がいなくなり、シンガポール人のアイデンティティーを持った中国系の人たちがとって代わっていました。

同じ頃に、ケオンサイク・ロードから紅灯の館が姿を消し、古き良きチャイナタウンは幕を閉じたのです。

ニューブリッジ・ロード沿いの民泊の部屋から見たケオンサイク・ロード。
初めてケオン・サイクロードを歩いてインスピレーションを受け、帰国後すぐに、ケオンサイク・ロードをテーマにしたショート・ストーリーを書いてみました。とても短い話なので、よろしかったら、ご一読をお願いしますね。
Short Story→ Keong Saik Road